2012年4月21日土曜日

痛みの文化人類学:anthropological Understanding For Human Pain


痛みの文化人類学:anthropological understanding for human pain

かならず読んでください

痛みの文化人類学

池田光穂

  1. 痛みとその解釈の歴史
  2. 痛みを取り去ること
  3. 痛み経験の民族差
  4. 試練としての痛み
  5. 痛みの文化的意味
  6. 献辞[一部でも読んでくれた方に]
  7. 文献

    痛みの文化人類学的研究にたずさわるものは、ヴィトゲンシュタインの次のような言葉をつねに思い浮かべざるを得ない

    「痛みという言語表現は泣き声にとって代わっているのであって、それを記述しているのではない」。

    自戒を込めて言うのだが、痛みの文化について考察する際には、"その儀礼には痛みが伴い、若者にとって試練を科す"とか、"彼女は当時の経験を思い起こして、心に痛みを感じた"──最近では"癒し"という怪しげな用語──などという表現をする同業者には用心して耳を傾けるべきだ。なぜなら他者の痛みを共感することはできるが、他者の痛みそのものを感じることが我々にはできないからだ。より慎重に言えば、文化人類学にとっては他者の痛みを<共感する>ということ自体すら延々と記述するに値する重要なことがらなのである。


 痛みとその解釈の歴史


    他者の痛みを同じように感じることができないことを私たちは知っている。過去人びとの痛みを感じることも不可能であることは言うまでもない。

    痛みと人類の歴史について言及する際も、同じ事情で「痛みをどのように感じたか」ではなくて、「痛みをどう理解したか」あるいは「痛みにどのように対処したか」について書物の多くのページがさかれている。現状においては、"痛みの歴史"とは"痛みの古典理論"について振り返ることであり、時には"鎮痛や麻酔の歴史"を意味することもあるだろう。

    17世紀にデカルトが、痛みを全体的な体験から切り離して別個に考察するような理論を打ち立てるまでは、痛みは人間の全体性とともにあった。痛みは長いあいだ人間の全体の感情を形成するなにものかとされていたのである。

    古代ギリシャでは、痛みは人間の情念(パテーマータ)のひとつとして考えられた。プラトンによると、神々は魂に対して死すべき肉体を与えたが、その際に別種の「死すべき魂」を形づくった。これは「恐るべきそして避けることのできない情念を」備えていた。苦痛は、快楽・大胆・恐怖・欲望・希望とならんでこの情念の一種をなしている。アリストテレスでは、情念は魂の基本的な要素であり、快楽や苦痛をともなう。彼は、痛みを『霊魂論』にあげた視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚という五つの感覚よりもむしろ、生理的な反応によってひきおこされる不快や苦しみである情緒としてとらえる。『動物部分論』のアリストテレスによれば感覚の起源は心臓にある。知覚の波が血管に沿って心臓に伝わるが、それが激しいとき痛� ��という情緒が生じると説明する。このような見解は中世のキリスト教神学においてもさほど変化しなかったとみてよい。

    デカルトは、痛みとそれに反応する人体の《反射》の概念を説明し、今日の生物医学的な痛み理解の基礎を作った。彼が『人間論』の中で解説した著名な図式は次のようなものである。足元に火を感じてそれを避けようとする作用は、まず炎の"微粒子"が足の皮膚に動きを生じさせ、それが脊髄にそった敏感な紐を引張り、脳室の手前の"ベル"が鳴る。これが、脳室の壁を開くことになり、"動物精気"が管状の神経に流れ込み、足を引くという反射がみられる。動物精気はまた脳室から松果体に入り意識を引き起こすという。なぜなら、彼によると松果体は人間にとっての"意識の座"であるからだ。またデカルトは、痛みは情動の一種であり、人間以外の動物には精神がないので、痛みを感じることはないとまで述べている。他� ��、スピノザは、情緒としての痛みをとらえ、悲嘆と憂鬱を痛みがもつある種の特性としてとらえている。したがって痛みを全体論的な情緒としてとらえるアリストテレス的伝統はデカルトよりもスピノザのほうに生き残ったかのようである。


    メソポタミアで育つ主な作物は何ですか

    進化論のチャールズ・ダーウィンの祖父にあたるエラスマス・ダーウィンは1794年『ゾーノミア』という書物を著し、種々の感覚において過度の刺激が与えられたり、欠乏したりすると、痛みが起こりうるという考えを提示している。今日においてさえも、痛みは情緒であるという歴史的伝統は残された。たとえば国際疼痛学会による痛み定義とは次のようなものである。痛みとは「組織侵襲に伴っておこる知覚性、情動性の苦痛的体験、あるいは本人がそのような組織侵襲があると訴えている場合の、本人が感じている知覚性、情動性の苦痛体験」である。


 痛みを取り去ること


    古代からつづく痛みに対する実際的な対処はどうであろう。はたして、それらは思弁ではなく、具体的で実用的なものであった。すなわち、外科的な治療に先だって病人を気絶させる。冷水などを痛む箇所に浴びせる。あるいは温浴させる。また、その部分を圧迫したり擦ったりして物理的刺激を与える。メロディやリズムを聞かせる。種々の薬物を投与する。暗示によって催眠させるなどである。

    痛みを取り去る薬物を探求することは人類の歴史とともに始まった。鎮痛作用をもつ植物には、アヘン[アルカロイド]、マンダラゲ(アトロピン、スコポラミン、ヒヨスチンなどを含有)、古代エジプトから用いられてきたヒヨス(ヒオスカミン)、大麻(カナビス、ハシシ)、ドクニンジン、クローバー油、柳(学名Salix alba)の抽出物――これはサリチンで誘導体がアセチルサリチル酸――などが痛みに対する天然の薬剤としてよく知られている。

    そのなかでもっとも有名なのがケシの抽出物であるアヘンだ。古代エジプトの古文書エベルス・パピルス(紀元前16世紀に筆写)に書かれていたのは、泣いている子供へのアヘンの処方であった。モルヒネは、アヘンから抽出・精製された薬物のことをさすが、古代ギリシャの人たちはアヘン抽出物を利用すると同時に、薬そのものを夜の神・死の神・眠りの神(ヒポノス――催眠の語源)あるいは夢の神に捧げた。夢の神モルフェウスが"モルヒネ"の語源となったことはよく知られている。

    ヒポクラテスによると、アヘンは催眠薬として用いられたようである。しかし、2世紀のローマ時代の医学者ガレノスのころから、アヘンが鎮痛剤として利用されるようになった。薬の機能が単一ではなく歴史や社会的条件によって異なることの好例である。19世紀初頭にドイツの薬剤師ゼルテュルナーがアヘンアルカロイドからモルヒネを純結晶として単離することに成功し、薬物としての今日的な利用がはじまったのである。

    しかし、当時イギリスの東インド会社がインドのアヘンを中国に輸出するころから、鎮痛剤としてよりも多幸観を与えるアヘンの嗜癖のために利用されることが多くなった。大英帝国の経済的利益のために、アヘンの濫用が始まり、それが中国国内で重大な社会問題となった。最終的には国際的な紛争であるアヘン戦争(1820)にまで発展したのである。

    さて中国医学では、痛みに関する治療といえば針麻酔が有名である。しかし、それは麻酔薬を用いずに針術だけで外科手術が可能になるという文化大革命以後の中国医学の効能に関する過度の宣伝によるとみてよい。針術は中国医学の伝統の中では、身体の不調を全体論的に治療するという点で、どちらかというと外科よりも内科的な治療に属することをともすれば我々は忘れがちである。つまり中国医学の針術は、除痛のために洗練されてきた外科的技術ではなく、むしろ本来は身体の全体的な機能回復のための治療技術であったことを想起すべきだろう。

    痛みと神経の関係について最も機械論的な発想にもとづく治療はペインクリニックにおける神経ブロック法である。しかし医学の長い歴史をみてもこのような方法が登場する以前には痛みを神経という実体にのみ還元してそれに直接働きかけるような治療法はなかった。もちろん、伝統治療におけるシャーマンや現代の神霊治療師が、患者から痛みの実体(らしきもの)を取り出して、それを患者ないしは患者の家族に見せることを通して治療することもまれではない。痛みの実体(らしきもの)を見せることが心理的な効果をもつことは言うまでもない。


 痛み経験の民族差


    痛み経験の民族差について、その実験的な研究の蓄積により、次のようなことが明らかにされた。

    まず、ヒトが感じる刺激においては、その民族による差はみられない。すなわち、刺激をどのように感じるかという質的側面を無視すれば、(a)外界からの刺激を感じる生理的な反応の感度は、民族による差はないということである。

    しかしながら、その質的側面、つまり(b)"痛い"と感じるか否かという点については、大まかな民族差があることが報告されている。イタリア人やユダヤ人は、北ヨーロッパの人と比べて、より低い温度の輻射熱を"痛い"と感じる傾向がある。


    誰が自転車の発明

    さらに、実験的に与えられた痛みを、(c)どの程度まで我慢できるかという点では、彼らが育ってきたと思われる民族差がより顕著にあらわれる。スターンバックらの実験によると、ともに米国生まれ女性のあいだでは、イタリア系の人は、アメリカインディアン系やユダヤ系の人たちに比べて"これ以上我慢ができない"という刺激の強度が低い。つまり、おなじ刺激が与えられている場合、イタリア系の女性は先に音をあげて、痛いと訴える傾向がつよい。

    これらのことを整理すると次のようにまとめられよう。(a)人間の感覚閾値には民族的な差は認められない。しかし(b)痛みの知覚閾値には民族差が認められる。そして(c)痛みの許容閾値には、より顕著な民族的な差異があるということだ。

    社会的な生活を営み、言語という高度に抽象化されたコミュニケーション手段を利用することができる人間にとって、"痛みをどのように感じているか"ということよりも、"痛みをどのように他者に伝えるか"ということが重要になる。つまり、痛み表現は患者自身の感覚であると同時に、他者に痛みを伝えるコミュニケーション手段なのである。

    この領域における先見的な報告をおこなったズボウスキーは、痛みを訴える人たちの民族差を興味深く描いている。すなわち、アメリカインディアンは感じている痛みが辛抱できなくなると、人目のつかないところに行き、一人きりになってはじめて痛みに対して呻きはじめる。これに対して、ユダヤ人やイタリア人は、人前で公然と痛みを訴える。そして、ユダヤ人は、その痛みが何であるかとか痛みの重症度を気にするが、イタリア人はむしろ他者に対して痛みを取り除いて欲しいと訴える傾向がつよいという。

    "痛み"を感じている人が他者に対してとる態度に差異があるということは、私たちの日常経験でもよく見受けられる。それは、年齢や性別あるいは、その当人が育ってきた社会的環境によって異なり、民族独自の"痛み表現"に対してさらに微妙でかつ複雑な修飾をくわえる。「もう大きくなったのだから泣くのはやめなさい」、「男の子でしょ、辛抱しなさい」、「お姉ちゃんでしょ、弟がみているからしっかりなさい」と親が子供に声をかけるとき、我々は子供たちに対して知らず知らずのうちに、痛みに対する社会的な態度を形成するよう仕向けているのである。

    痛みの訴えが社会生活や産業構造に根ざしたものであるという証左として、先進諸国では腰痛が増加することが指摘されている。またこのことを社会文化的な含みから研究するには、"痛みを訴えるもの"と"痛みを訴えられるもの"との相互作用に着目することも重要になる。他方で、さまざまな民族誌において痛みの感受性に関する報告を読むと、痛み経験の特性は互いに矛盾する記述を認めることもまれではない。つまり痛み経験は民族内部においても多様なのである。メルザックとウォールは次のように言う。

    「痛みは、以前多くの人達が信じていたよりもずっと変動性に富み修飾を受け易い。痛みは個人個人で異なり、育った社会の文化的伝統によっても相違する。‥‥痛みの知覚は、たんに特定の種類の刺激と関連づけて定義することはできない。それどころか、痛みは社会的に伝統として継承されてきた文化の体得、その状況の意味、各人に特有なその他の要因に依存するきわめて個人的な体験なのである。」[メルザックとウォール1986:19]


 試練としての痛み


    "痛み経験"は人類の歴史を通して、どちらかというと災厄の部類に属してきたことは明らかである。しかし、それを積極的に利用することも他方で多く見られた。北米の平原インディアンの諸族に見られたサンダンス(太陽踊り)とよばれる宗教的儀礼は、"強烈な痛み経験"を積極的に利用した例としてよく知られている。

    彼らのうち若い男性だけがこの儀礼に参加することができ、小屋のなかの柱を囲んで太陽の方角に向かって踊るのだが、そのやり方がすざまじい。

    シャイアン・インディアンの場合、左右の乳首の上方の2箇所に金串を刺し、両端を紐で中央の柱に結びつける。また、胸のほかにも頬や背中に金串が刺されて、神聖な野牛の頭蓋骨などと紐で結ばれる。若者たちは、断食をしながら夜を徹して踊りつづけ、最後には身体を柱から遠ざけ、胸に刺した金串ごと肉を引き裂いたという。

    ブラックフット・インディアンにおけるサンダンスの状況を報告した人類学者ウィッスラーによると、試練をうける若者の胸には金串、背中には太鼓が結わえ付けられたという。若者の顔面は蒼白で、身体は興奮に震えていたが、胸の肉を引き裂いたときには半ば失神状態で倒れ、周囲の観衆は喝采でこれを賛美したという。

    このような自虐的な苦行によって、きわめて苛酷な痛みのなかで神のお告げを聞くこともしばしばであったという。また、これによって男性の勇敢さを尊び、優秀な戦士への仲間入りを果たすと、当時の人たちは人類学者に語った。


    あなたはフランス語で城をどのように言うんだ

    平原インディアンのサンダンスほど過酷ではないが、世界の多くの伝統的な社会では成人式やある集団に加入する際の儀式――総じてイニシエーションとよばれる――には、さまざま痛みを伴うと思われる試練が課されることがある。あるいは痛みを和らげるために幻覚剤が使われることもある。ただし、それは参加する人間に対して、たんに"痛みを課す"ことが目的だったのではない。むしろ、そのような状態を耐え抜いたり、そのような経験をすることに主眼がおかれていたとみるほうが妥当である。

    痛みを、宗教的な試練として受容することは、数々の"苦行"が用意されていることからも理解することができる。欧米の研究者がフック・ハンギングと読んできたインドの苦行者がおこなう一連の儀礼的行事がある。これは、ある集団の成員の中から選ばれた人が、子供たちの無病息災と農作物の豊作を祈る。その際に、選ばれた男は、背中に鉄製のフックを突き刺すのである。宗教的な苦行における痛みは、神の試練であったり、あるいは宗教的な熱狂のなかで痛みを忘れるほどの、あるいは痛みを超越するほどの体験を得ることができると理解されている。また、次節で触れるがそのような苦行を近くで見る信者にとっては苦行者の痛みを想像し、そのような痛みに耐えうる神の恩寵を改めて感謝するという効果もあるのだ。

    13世紀以降、中世のヨーロッパでたびたび見られ、しばしば異端とされたキリスト教の鞭打ち苦行者とその信者にそれを見ることができる。鞭打ちは、いろいろな社会でみられたように刑罰の手段であった。しかしながら、鞭打ち苦行者においては、それが積極的に解釈され"苦行"と"悔い改め"の手段として認められるようになった。鞭打ち苦行者たちによると、黒死病の流行など社会的な危機は神による罰や世界の終末の予兆であった。彼らは聖書の一節を唱え、裸足で粗末な衣服を身につけ、鞭打ちをしながら歩き回ったという。苦痛は試練であると同時に、周囲の人たちに脅威を与えることによって心理的な効果をもたらしたのである。

    痛みはこのように試練としての意味を伴うとともに、複雑で様々な目的や意図が込められ錯綜した姿であらわれる。入墨や刺青について考えてみよう。入墨は、身体を美学的な対象として装飾したり、悪霊や災厄を防いだりする。中国や日本で好まれる龍の文様は海や河川での厄除の意味をもっていた。また社会的地位やその人の属する部族を誇示したりする意味があった。そして入れ墨をさす行為には苦痛に耐える勇気をもつという意味が込められている。痛みは様々な文化的な解釈を受けると同時に社会慣習の中に埋め込まれているのである。


 痛みの文化的意味


    痛みそのものは一定の社会状況のもとで苦悩そのものとして受け取られる。例えば、"その痛み"が身体のある特定の部位にあったとしても、痛みの経験はからだ全体で受け取られる。痛みは明らかに人間の感情のあり方を決定する要因である。と同時に、人間が"ある特定の感情のあり方"を得ようとする際に"痛み"という経験によって語られるのである。

    また、痛み体験はさまざまな民族や社会をこえて、「伝染」するという特性をもつ。この伝染は実体的な根拠をもたないので、心理的な共感をおこしやすいということが、その真意である。繰り返しになるが痛みという経験はその人自身にしか体験できない。この見解は一般的に受け入れられている。痛みが表現される際には、言語を含む多様な身体表現の様式がみられる。例えば、眉をひそめたり、うめき声をあげることである。この経験は人びとによって共有される。痛み経験は、痛み表現やその意味づけを通して個人レベルにおいても内面化されるという特徴をもつ。

    痛み経験を論じる際に、民族学者たちはしばしば痛みの文化的な意味を強調するあまり平原インディアンのサンダンスのような極端な事例を提示しがちである。しかし、そのような一生に一度経験するか否かのような過度の痛みはあくまでも特殊な経験と言えよう。多くの人たちの痛み経験はもっとマイナーで軽微なものだ。しかし、このような軽微な痛み経験を知っているからこそ、極端な痛み経験を想像によって理解することが可能になる。つまり痛み経験が「伝染」するわけである。強迫神経症における疼痛恐怖は、痛み経験の想像力が個人が対処できる能力を超えたものだと解釈することもできるのだ。


    身体のマイナーな痛み経験は、日常生活の中で誰もが経験するものである。そして、その訴えは文化によって一定の様式をもつと思われる。私が調査した中央アメリカのホンジュラス西部のメスティソ村落民の例をあげてみよう。彼らはスペイン語を話すが、痛みを表現する語彙には大きくドロールとアイレという2つの用語があった(表1参照)。ドロールは痛み一般を表象する語彙であるのに対して、アイレは痛みとともに外部からその原因が侵入する動詞をともなって使われることが多い。アイレには空気という意味もあるが、空気が身体に侵入するということではない。また日本語にも「焼けるように痛い」という表現があるように、痛みを炎(フエゴ――まさに炎症である)で表現することもある。  近代医学における病気の診断と同様に、医療者ではない普通の人びとが病名を判断する際にも痛みは重要な弁別の要素になる。メスティソ村落民は皮膚病を分類するが、それをまとめたものが表2、表3、表4である。それによると、痒みや膿の有無などとともに痛みは複合的な弁別要素の一つを構成していることがわかる。

    このようなマイナーな痛みが我々の日常生活のほとんどを支配する。しかし想像力の世界のなかでは依然として重篤な痛みが、その社会の生きる人びとの実存と深く関わる。だが人びとが通常は体験できない重篤な痛み経験は、日常のマイナーな痛み経験があってはじめて体験として「伝染」することができるのである。つまり痛みが社会性を帯びるのである。痛みが社会的な様式として人間によって巧みに利用されたり解釈される社会では、痛みの原因理解もまた社会的に説明される傾向があるようだ。痛みが生物医学の対象となり患者の病理の徴候として理解されるような現代社会では、痛みを積極的に利用するという社会的な習慣や文化的様式が衰退する傾向にある、ということは言えそうである。しかしながら、"痛み"の意味� ��求めてやまない人間にとって、そのような様式が完全になくなるとは言えないだろう。痛みは我々と共にあり、痛みが我々の人生に問いかけることを止めることはないのである。



    少しでも読んでくださったみなさん、どうもありがとう。最初に看護学の雑誌に掲載されてからウェブにアップされ、これまで皆さんのさまざまなコメント・質問・反論などをいただき、その都度加筆・書き直してきました。宗田先生がなくなられてからですので、この改訂は先生のところには届きませんが、極楽で目を細めてくださっていることでしょう。もちろんネットでご覧になってらっしゃる方すべてに感謝します。

    この拙文を故・宗田一先生に捧げる。日本における医史学の重鎮であられた宗田先生は、筆者を本文中にも触れたような世界の古今東西の医療に関するさまざまな民俗の世界に誘ってくださったからである。


    WHO(世界保健機関)による痛みの分類[半場 2004:41]

    WHOは痛みを次の3つに分類する。

      1.侵害受容性疼痛(しんがいじゅようせいとうつう)

      2.神経因性疼痛(しんけいいんせいとうつう)

      3.がん性疼痛(がんせいとうつう)

    それぞれについて簡単に解説すると、

    1.侵害受容性疼痛

      外傷、骨折、うちみ、火傷(やけど)など、ごく一般に日常経験する痛みのこと。文字通り、なにかの傷害をうけたゆえの痛みである。

    2.神経因性疼痛

      帯状疱疹(たいじょうほうしん)にかかった後に出てくる帯状疱疹後神経痛、糖尿病性疼痛(とうにょうびょうせいとうつう)、四肢を切断した後で既に存在しない手足の部分の痛みを感じる幻肢痛(げんしつう)、カウザルギー(灼熱痛:しゃくねつつう)、抜歯(ばっし)後におこるいたみ幻歯痛(げんしつう)などで、(末梢あるいは中枢の)神経が原因でおこると考えられている痛みである。

    3.がん性疼痛

      無秩序に増殖すると言われている「がん細胞」がまわりの正常な細胞からできた部分(これを「組織」という)に侵入するときに(正常な反応ではないので)炎症を起こし痛みがある。炎症を引き起こす組織が、神経細胞であれば、上述の神経因性疼痛が加わり、痛みの性質が変化する。


    文献

    • 池田光穂『医療と神々』平凡社、1989年
    • 池田光穂「苦悩と神経の医療人類学」『現代文化人類学を学ぶ人のために』米山俊直編、世界思想社、1995年
    • 清原迪夫『痛みと人間』日本放送出版協会、1976年
    • 丸田俊彦『痛みの心理学』中公新書、1989年
    • R・メルザックとP・ウォール『痛みへの挑戦』中村嘉男監訳、誠信書房、1986年
    • 半場道子『痛みのサイエンス』新潮選書、新潮社、2004年

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